2016年02月28日

ユカタン・インパクト

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西暦34年4月、昼の12時頃、イエス・キリストが十字架上で苦しみを受けた時、エルサレム地方は暗闇に覆われ、神殿の幕が裂けるほどの大地震が起こりました。(マタイ27:45〜52)
同じ頃、古代のアメリカ大陸においても、同様の出来事が起きています。

「さて、第三十四年の一月四日(※)に、全地でこれまでに全く知られていないような大きな嵐が起こった。また、激しく凄まじい暴風雨もあった。また、凄まじい雷があり、まさに引き裂くほどに全地を揺り動かした。」(第3ニーファイ8:5〜6)
「そして、地の全面に深い暗闇があり、それまでに倒れなかった民がその暗黒の霧に触れると、それを感じる事ができるほどであった。」(第3ニーファイ8:20)
※ニーファイ人が用いていたユダヤ暦の日付。現在のグレゴリオ暦の4月頃に相当。

ニーファイ人が見舞われたこれらの災害は、全地球が水没したノアの大洪水を除いては前代未聞の天変地異でした。
その大激変の原因となった痕跡は今も、中央アメリカ大陸ユカタン半島北部に残されています。

それは、チクシュルーブ・クレーターと呼ばれる直径約160kmの小惑星衝突痕です。

諸説ありますが、衝突した小惑星の大きさは直径10〜15km、衝突速度は約20km/s、衝突時のエネルギーは広島型原子爆弾の約10億倍、衝突地点付近で発生した地震の規模はマグニチュード11以上、生じた津波は高さ約300mと推定されています。

もう一つの痕跡はクロービス層と呼ばれていて、隕石の衝突などで起きるような高温高圧の状況で生成されるナノサイズのダイヤモンド粉末を含んだ堆積層です。

クロービス層は北米大陸全域で発見されており、小惑星の衝突で生じた炎と爆風によって吹き飛ばされた「北方の地」に、南方の地よりも大きな破壊があったとするモルモン書の証言を裏付けています。(第3ニーファイ8:11〜12)
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2013年05月01日

太陽の住民

ブリガム・ヤングの月の住民と太陽の住民に関する預言を紹介します。

 「狂信者とはどんな人々が説明しよう。狂信者とは偽りの原則と知識を事実として受け入れ、偽りを基とした理論を築こうとする人々である。
彼らがいかに熱心であろうと、世の終わりまで偽りの原則に基づいて判断し主張するので、その結末は偽りである。もし私たちの宗教にそのような特性があるのなら、それを証明できる者を教えてもらいたい。
私たちは無学だと言われている。その通りである。しかし何に対してだろうか。全ての人は無知ではないだろうか。私はそうだと思う。
あの『月』と呼ばれる晩に輝く小さな天体に住民がいることを知っている者がいるだろうか。私たちが月の面を眺める時、『月の住民』と呼ばれ、学者たちが山脈の影だと言っている部分が見える。しかしそのような主張は非常に曖昧で無意味なものである。
もしあの天体に住民がいるかどうかを聞かれたら、最も教養のある者であっても無知を晒すしかないだろう。
太陽の住民についても同様である。太陽に住民がいると思うだろうか。私はいると思う。あそこに生命体がいると思うか。何の疑問もない。目的なしに造られたのではないのだから。太陽はそこに住む人々と他の惑星たちに光を与えるために造られた。この地球も栄光を受けると同じように光を与える星となるであろう。
全ての惑星は組織されて間もない頃、体に神の栄光を受けておらず暗い状態にある。
しかし神の創造する全ての惑星は栄光を受けると光り輝くようになる。
キリストはこの地球の光である。
神は私たちの目に光を与えられた。あなた方は今まで、誰が自分に見る力を与えたのか考えたことがあるだろうか。誰が私たちの頭に二つの眼球を組織して神経で脳とつなぎ、円と四角、垂直と水平、大と小、白と黒、茶色と灰色を見分ける力を授けたのか。
あなた方は自分でこの能力を手に入れたのか。あなた方の内の誰かがこの力を私に与えたのか。あるいは私があなた方に与えたのか。どちらも違う。
それなら私たちは誰から見る力を与えられたのか。至高者からである
これらの小さな事柄や地球の創造物とそこに住む人間について考える時、何と不思議で並外れた御業なのだろうかと思う。
自然界の法則は何と調和のとれた美しいものなのだろうか。
神が御業を進め王国を築き始める時に、誰がそれを妨げ神の御手をとどめることができるだろうか。」

              1870年7月24日 ブリガム・ヤング(説教集13:271〜272)
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2013年01月07日

ヤレドの箱船

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人類の始祖アダムの時代から紀元前2200年頃に至るまで、世界中の人間は一つの共通言語を話していました。(創世記11:1)
そして、この時代に人々はシナルの地に集まり、一つの巨大な塔のある町の建設を始めました。その町の名はバベルと呼ばれました。

「彼らは、『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされる事のないようにしよう。』と言った。」(創世記11:4)

全世界を水に沈めて滅ぼした大洪水の後、箱船に乗って命を救われた預言者ノアと息子たちは、新世界の各地に広がって子孫を増すように神から命じられていましたが(創世記9:7)、
バベルの民がこの戒めに逆らうのを見た時、神は人々の言語を混乱させて、互いに意思の疎通を図れないようにされました。
そのため人々は塔を建設できなくなり、全地に散らばる事になりました。(創世記11:5〜9)

バベルの塔から出て行った人々の中に、ヤレドとその兄弟の一行がいました。
彼らは正しい人々で、神の導きによって約束の地であるアメリカ大陸を目指して旅をしました。
彼らは幾日も荒れ野の中を進み、ユーラシア大陸とアメリカ大陸を隔てる大西洋の岸辺に着きました。(エテル2:13)
そこで神は、彼らが海を渡るための8隻の船を造るように命じられました。
それらは小型ではあるものの、ノアの箱船とほぼ同じ形状と潜水能力を持った船でした。
つまり、密閉されたカプセルのような船だったのです。(エテル2:17)

ヤレド一行が海を越えるために帆船ではなく潜水艇を造るように指示されたのは理由があります。
その時、海の上では「激しい風」と暴風雨が起こっていて、とても通常の航海ができるような状態ではなかったのです。
ヤレドの箱船は荒れ狂う波に飲まれて、何度も海の中に沈められました。(エテル6:5〜7)
よって、暴風雨で転覆する危険性の高い海の上にいるよりは、水中に潜った方が安全だったという事です。

ヤレドの箱船には舵も帆も付いてなかったので、船自体に推進能力は備わっていませんでした。
聖典には「激しい風」によって344日間運ばれて約束の地に到達したと書かれています。(エテル6:5〜12)
つまり、風によって生じた海流に乗って進んだ事になります。

勿論、普段から海は絶えず流れており、地球規模で循環しています。これを海洋循環と言い、大きく分けて表層循環と深層循環の2種類があります。
一般に、表層循環は風成循環とも呼ばれ、風の力によって起こる摩擦運動がもとになり、海洋表面から水深数百メートルまでに生じる水平方向の流れです。

深層循環は熱塩循環とも呼ばれ、表層部の海流が赤道付近から極域に向かうにつれて冷却し、水深数百メートル以上の深海へと沈む事で生じる流れです。
深層水はゆっくりと長い年月をかけて移動し、やがて表層循環と混合します。

 ヤレドの箱船がどの程度の深さまで海に潜ったのかは分かりませんが、箱船を運んだ「激しい風」は通常の海流を起こす卓越風や季節風といった類ではなく、海流の方向も速度も独特のものだったはずです。
何故ならその大暴風雨を引き起こした原因は、地球規模を超える天体現象だったからです。

それは、紀元前2500年頃に木星の火山噴火によって誕生したばかりの原始天体ヤハウェの接近でした。
彗星のように楕円軌道を描いていた惑星ヤハウェは歴史上、何度か地球に異常接近しており、太陽系の他の惑星群にも多くの災害を与えています。
紀元前2200年頃、惑星ヤハウェの超接近によって地球上には凄まじい潮汐力が発生し、バベルの塔は崩壊しました。
また地球大気にも大きな摩擦が加わり、海洋上に大暴風雨を引き起こしたのです。

 アメリカ大陸に到着した8隻の箱船が、その後どうなったかは聖典に記録されていません。
ヤレド人は約束の地で繁栄し、オルメカ文明を中心とする王国を築き上げました。
もしかしたら今もどこかでヤレドの箱船は眠っているのかもしれません。
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2012年03月04日

リムハイの遠征隊

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モルモン書の地理を語る上で外せないのが、リムハイの遠征隊です。

紀元前200年頃、かつて先祖が住んでいて今はレーマン人の領地となったニーファイの地を再び所有したいと願った人々がいました。
彼らはゼラヘムラを出発してニーファイの地へ赴き、レーマン人の王から土地の所有を認められます。
そしてしばらくの間、人々は先祖の地で平和に暮らしましたが、リムハイ王が統治した紀元前121年頃、民はレーマン人の圧制を受けて重い税や迫害に苦しんでいました。

そこでリムハイ王は、ゼラヘムラの同胞に頼んで苦境から救ってもらおうと考え、ゼラヘムラの地を捜索するために43人の遠征隊を派遣しました。
しかし遠征隊は広大なジャングルの中で道に迷い、多くの水のある地方を旅して廃墟が一面に散在する地を見つけました。(モーサヤ8:7〜8)
そこはデソレションの地で、紀元前600年頃に滅亡したヤレド人の遺跡でしたが、遠征隊はそこをゼラヘムラの地であると思い、悪い知らせと共にニーファイの地へ引き返したのです。(モーサヤ21:26)

何故、リムハイの遠征隊は道に迷ったのでしょうか。

道のないジャングルを旅する上で目印となるのは地形です。
ゼラヘムラに行った事がないリムハイの世代にとって情報源となったのは、先祖からの言い伝えだったに違いありません。
おそらく遠征隊には、「まずシドン川の源を見つけて流れに沿って〇日間ほど進み、川の西側にある大きな町を探せ。」という指示が与えられたと思われます。

そこで考えられるのは、遠征隊は間違った川を見つけて道に迷ったという事です。

実はシドン川=ウスマシンタ川の源に近いウェウェテナンゴ周辺には、他にも多数の川の水源が複雑に点在しているのです。
その中でもグリハルバ川はウスマシンタ川に匹敵する規模の川であり、全長600km、流域面積134400kuで、遠征隊がこれを見てシドン川だと思い込んでもおかしくありません。

もしその通りなら、リムハイの遠征隊はグリハルバ川の流れに沿って北西に進んで行った事になります。
しかしトゥストラ・グディエレス付近のスミデロ峡谷に至ると、断崖絶壁に道を阻まれてしまうので、必然的に峡谷を迂回せざるを得なくなります。
遠征隊は再びグリハルバ川を探したでしょうが、おそらくここで道に迷ったと思われます。

そこで今まで通り北西に進んで行ったとすると、多くの水のある地方であるタバスコ州に入ります。
この低地帯に流れる多くの川の一つを辿って、遠征隊はオルメカ遺跡郡を発見したと思われます。
旅の方向と地理的状況から考えて、リムハイの遠征隊が辿り着いた可能性が最も高いのは、コアツァコアルコス川の西側に位置するサン・ロレンソ遺跡です。

サン・ロレンソはオルメカ文明の中で最も古く、紀元前1200年〜紀元前900年頃に栄えたとされる古代都市です。
ここをゼラヘムラだと思った遠征隊は、廃墟にあった幾つかの遺物を持ち帰って、自分たちの旅の証拠としました。(モーサヤ8:9〜11)
彼らが帰り道で迷ったという記述はないので、もと来た道を戻って行ったのでしょう。
posted by コテツ at 18:06| 古代アメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月23日

ゼラヘムラ

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マヤ地域においてモルモン書に唯一登場する川がシドン川です。
シドン川はニーファイ人の国内最大級の川であり、レーマン人との戦闘で生じた何千人もの戦死者の遺体を容易に海まで流せるほどの水量を有します。(アルマ3:3)
水源は細長い荒れ野に近く(アルマ22:27)、ゼラヘムラの地のすぐそばを流れます。(アルマ2:15)

これらの特徴と見事に一致するのが、中央アメリカ最大の河川、ウスマシンタ川です。
ウスマシンタ川は全長800km、流域面積106000kuを誇り、グアテマラ高地の源からペテン低地帯へと流れ、メキシコとグアテマラの国境となり、河口でメキシコ湾に注ぎます。

言語学的にもシドンはフェニキヤ語で「漁場」、ウスマシンタはマヤ語で「魚の川」という意味を持ち、両者の一致が見られます。

ウスマシンタ川流域には熱帯雨林が広がり、多くのマヤ遺跡が存在しています。
モルモン書の記述から、ゼラヘムラの町はシドン川の西側にあり(アルマ6:7)、ニーファイ人の国土の中央部に位置している事が分かります。(ヒラマン1:18)
この条件を満たし、ウスマシンタ川流域の遺跡群の中で最大規模を持つ古代都市パレンケは、ニーファイ人の首都ゼラヘムラの最有力候補です。

一般に、遺跡から確認できるパレンケ王朝の開始は西暦431年、バラム・ククの即位に始まりますが、それ以前の歴史は紀元前1000年頃にまで遡るとされています。
都市の構造としては、宮殿を中心に大小の様々な神殿や住居などの建造物が取り囲んでいます。
特に人目を引くのが宮殿の中庭にある四階建ての塔で、一般に天体観測に用いられたと考えられています。
勿論その可能性は否定しませんが、モルモン書に記された歴史からこの塔の真の目的が分かります。

紀元前124年、ゼラヘムラを治めていたベニヤミン王は、息子モーサヤに王位を継承する事を宣言するために、ゼラヘムラの神殿に国内全域から民衆を集めさせました。

「さて、モーサヤが父から命じられたとおりに行い、全地に布告を出したところ、民は全地から集まり、ベニヤミン王の語る言葉を聞くために神殿にやって来た。・・・集まった群衆が非常に大勢であったため、ベニヤミン王は神殿の中で全ての人を教える事ができなかった。そこで彼は、自分の語る言葉を民が聞けるように、やぐらを建てさせた。」(モーサヤ2:1〜7)

ここから、宮殿の塔は王が民衆に語りかけるために建てられた事が分かります。
この時のやぐらは、集まった人々が予想以上に多く、即席で必要だったために木材で造られた可能性がありますが、塔の必要性を知った後で石造りの四階建ての塔が建てられたと思われます。
posted by コテツ at 22:54| 古代アメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月22日

モルモン書の地理

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モルモン書には古代アメリカ大陸における神の聖約の民の歴史が刻まれています。
特に中央アメリカのマヤ文明圏で起こった出来事に焦点が当てられており、民の歴史と共に地理的な特徴についても多くの説明がなされています。

その一つは、北方の地と南方の地を分ける地峡がある事です。
その地峡は狭く、東の海から西の海までニーファイ人が一日半旅をすれば行けるわずかな距離であると述べられています。(アルマ22:32)
これはメキシコのテワンテペク地峡であり、メキシコ湾から太平洋までの最短距離が200km程度しかありません。

モルモン書の中で北方の地はデソレションの地と呼ばれ、紀元前2000年〜紀元前600年頃までオルメカ文明を築いたヤレド人が住んでいました。
南方の地は3つの区域に分かれていて、デソレションと隣接する北部はバウンティフルの地、また中部はゼラヘムラの地と呼ばれ、紀元前600年〜西暦400年頃までマヤ文明を築いたニーファイ人が住んでいました。
そして南部はニーファイの地と呼ばれ、ゼラヘムラとは東の海から西の海まで続く細長い荒れ野によって隔てられていました。(アルマ22:27)ここも元はニーファイ人の土地でしたが、レーマン人の侵略によって奪われてしまいます。
この細長い荒れ野はグアテマラ高地の山岳地帯にあたり、ニーファイ人にとってレーマン人の侵入を防ぐために、この境界線を封鎖する事は戦略的に重要な事項でした。
そのため司令官モロナイはこの荒れ野に近い多くの町に要塞を築いています。(アルマ49〜50章)

(※参考文献 ジョン・P・プラット Mormon's map puzzle solved?)
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2011年08月16日

キンダーフック版

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キンダーフック版とは、1843年4月23日にイリノイ州パイク郡キンダーフック近郊の山で発見されたとされる、鈴の形をした6枚の小さな真鍮製の金属板です。
発見したのは地元の住民ロバート・ワイリーで、クインシー・ウィグという地方紙に、同年5月3日付の取材記事で発見の経緯が語られています。

「事の発端はワイリー氏と名乗るキンダーフックの住民だった。彼は3日続けて同じ夢を見た。それは近所の山に宝物が隠されているというもので、強い印象を受けたワイリー氏はその山を掘る事を決めた。最初は人目を避けて山の中腹に1人で穴を掘り続けたが、骨の折れる作業だと分かって助っ人を探した。
そして10〜12人の一行が山に向かい、穴掘りを手伝った。11フィートほど掘ったところで石灰岩が現れ、その石を取り除くと6枚の真鍮版が見付かった。
・・・・その象形文字を解読してくれる者がいなければ意味が分からない。そこである者が、モルモンの指導者のスミス氏がそれを読む事が出来ると言った。・・・」

 そこでキンダーフック版は、末日聖徒イエス・キリスト教会の預言者ジョセフ・スミスに渡され、文字の翻訳が始まりました。
ジョセフ・スミスの秘書だったウィリアム・クレイトンは、教会歴史の中にジョセフ・スミスの見解を記録しています。

「私(※)はそれらの一部を翻訳し、ある人物の歴史が含まれている事が分かりました。彼はハムの子孫で、エジプトの王ファラオの腰から出た者であり、天地の統治者から王国を受けたのです。」(教会歴史 第5巻 p.372)
※これはクレイトンがジョセフ・スミスの立場で用いた一人称です。

また、当時の十二使徒であったパーリー・P・プラットは次のように語っています。

「真鍮と思われる6枚の版は、イリノイ州パイク郡に住む1人の紳士によって山から掘り出されました。それらは小さくて全体に文字が刻まれており、ノアの息子ハムにまで遡る古代ヤレド人の家系の一つを含んでいました。」

残念ながら、キンダーフック版に関するジョセフ・スミス自身の直接的な記録は存在せず、これらの見解には慎重な判断が必要とされます。
また、キンダーフック版自体も学術的に古代の遺物として認められていません。
しかし、もしこれらの内容が真実であるならば、一つの謎が解けます。

オルメカ文明の遺跡に、人間の頭部を表した巨大な石像が幾つか発見されています。
この巨石人頭像、通称オルメカ・ヘッドはつぶれた鼻や大きな目、厚い唇が特徴的で、黒人の風貌を示していると言われています。
しかし一方では、オルメカ・ヘッドの後頭部が後ろに張り出さない絶壁で、大きな目も切れ長である事から、モンゴロイドだと言う説もあります。
これはオルメカ文明の正体を知る上で大きな謎の一つでしたが、これら両方の特質をあわせ持っていた可能性のある民族が、かつて古代アメリカ大陸に存在しました。

それがヤレド人と呼ばれる民族です。

ヤレド人とは、紀元前約2200年にシナルの地でバベルの塔が建設された時に、そこからアメリカ大陸に移動した一団です。
バベルはノアの大洪水の後に黒人の祖となったハムの子孫ニムロデが築いた王国ですが、そこには多数の民族が集まっていたと聖書には書かれています。(創世11:1〜2)

ヤレド人を統率していた族長ヤレドの兄弟であった預言者モリアンカマーは神権を持ち、神とまみえた聖人だったのでセム系人種ですが、ヤレド人の一団にはヤレドの一族以外にも、その友人たちと家族もいたと記録されています。(エテル2:1)
おそらく彼らの中に黒人の血を引く者がいた可能性があります。
そして、ヤレド人は古代アメリカ大陸において王国を築き拡大させると共に人種も交じり合い、黒人とアジア人の両方の特質をあわせ持つようになったのでしょう。

追記

キンダーフック版の発見者たちは、ジョセフ・スミスに翻訳を依頼した後に版を自分たちが作ったと主張し、後世に発見されたキンダーフック版も鑑定の結果、1840年代に作成された物だと断定されました。
「失われた原稿」や「マークホフマン事件」など、教会歴史を通じてモルモンを迫害する者たちが起こした、似たような事件は他にも幾つかありました。

これは全くの推論ですが、キンダーフック版には真正と偽物があったのかもしれません。
そして真正キンダーフック版は純金製だった可能性があります。
モルモン書にあるリムハイの民がヤレド人の遺跡で発見した24枚の版も純金製だったからです。(モーサヤ8:8〜9)
その24枚の版、つまりエテル書の原本もベル型だったのかもしれません。
繰り返しますが、これはあくまで推論です。
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2011年05月27日

復活の儀式

末日聖徒イエス・キリスト教会の第二代大管長・預言者ブリガム・ヤングが語った、幕の彼方における神権の儀式の話を紹介します。

「さて、兄弟姉妹に神の家の教義と儀式について、少しお話ししたいと思います。
現世において、自分の内にある最善の光に従って生活し、完全な福音を述べ伝えられた時にそれを受け入れた全ての人は、権能を持つ者が肉において執行する儀式よって、栄光ある復活に甦るでしょう。聖霊に逆らう罪を犯した者を除き、その他の全ての人も、復活して栄光を受けます。
 主の民である私達は、命と救い、昇栄の為のあらゆる儀式を授けられており、しかもそれを執行していると考えています。しかしそうではありません。
私達が授けられているのは、肉において執行する事のできる全ての儀式なのであって、次の世で執行されなければならない儀式は与えられていないのです。
それにはどのようなものがあるのか、お尋ねしたいと思います。その一つを話しましょう。
それは復活の儀式とその鍵です。
 それらは現世の生活を終えて、再び肉体を得た人々に与えられるでしょう。すでに多くの人々がそのようになり、これから後の多くの人々にも同様になされます。
彼らは復活の鍵を持つ者により聖任を受けて、聖徒達を復活させる事でしょう。それは丁度、私達がバプテスマを受けた後、他の人々に罪の赦しの為のバプテスマを施す権能の鍵を受けるのと同じです。これがこの地上で受ける事のできない儀式の一つであり、このような儀式は他にも多くあります。
 私達は元素を組み合わせ、物を作り変える事はできますが、自然界の元素その物を組織して、草の芽が育つようにする事はできません。そのような儀式はこの世では与えられていません。私達は現世で人間に適応した組織を作ります。元素を組み合わせ、種をまく事により、野菜や木や穀物などを栽培します。
私達は現世の人々の為に用意された主の計画に従って、地上に王国を組織しています。それは復活した人々の為の物ではありません。しかし、似たような組織である事は確かです。
もう一つお話しします。
 私達はまだ霊を創造したり、生み出したりする力を持っていませんが、この世での肉体を生み出す力は持っています。この芽を、神は私達の内に置かれました。
よって、私達の霊が肉体を受け、信仰深い生活を通して冠を受けるに相応しい者となる時、霊と肉体の両方を生み出す権能が与えられるでしょう。しかし、これらの鍵を地上で受ける事はできません。
だから兄弟達よ、私達はこの地上にいる間に仕事をなし終える事はないし、完成させる事もできない事が理解できるでしょう。イエスでさえ、この地上にいる間に御業を終える事がなかったのです。」
(Journal of Discourses 15:137〜138)
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2011年03月08日

人の子のしるし

キリストの再臨に関する預言者ジョセフ・スミスの言葉を紹介します。

 「教会に属さない者が、教会員を高等評議会の前に連れ出して裁判をさせる事ができるか、との質問がなされました。私は出来ないと答えました。もし私が実際に神から召され、この仕事に取り組んでいるのでなければ、私は退けられるでしょう。しかし私は退く事は出来ません。私は真理に対して何の疑いもないからです。
 もし私が預言するのであれば、世の終わりは1844年に、あるいは1845年、1846年、または今から40年間は来ないと言うでしょう。現在生れつつある世代の中には、キリストが来られるまで死を味わう事のない人々がいるのです。
私はこの件について真剣に祈った事があります。すると一つの声が私に語りかけました。「息子よ、もしあなたが85歳まで生きるならば、あなたは人の子の顔を見るであろう。」
そして私は一人残され、この事について自分自身で結論を出すに任されました。もし私がその時まで生きるならば、その結論を出す特権を得るでしょう。主が御姿を現されるからです。主が私を訪れられるのか、それとも私が主のみもとへ行くのかは分かりません。
 私は主なる神の御名によって預言し、それを書き記しましょう。人の子は私が85歳になるまでは天の雲に乗って来られる事はありません。黙示録第14章の6節と7節を読んでみて下さい。

『私は、もう一人の御使いが中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝える為に、永遠の福音を携えて来て、大声で言った。「神を畏れ、神に栄光を帰せよ。神の裁きの時が来たからである。」』

 またホセア第6章には、2日間とその後の出来事、すなわち西暦1890年までに至る2520年間について書かれています。人の子の来臨は、預言されてきたこの時代の裁きが満ちるまでは、決して起こらないでしょう。その裁きはもうすでに始まっています。パウロは言いました。「あなた方は光の子であって、闇の子ではない。その日は夜の盗人のようにあなた方を襲うであろう。」
地上にやって来て地球を砕き,粉々にしてしまう事は全能者の御心ではありません。しかし主は僕である預言者には御心を示されるでしょう。
 ユダは戻り,エルサレムは再建されなければなりません。神殿も再建され、その下から水が湧き出て死海の水が癒されます。町の城壁や神殿などが再建されるには、ある程度の時間が必要です。そしてこれら全ての事が,人の子がその御姿を現される前に起こらなければなりません。戦争と戦争の噂があり、上は天に、下は地にしるしが現れます。太陽は暗くなり,月は血に変わり,方々に地震が起こり、海はその境を越えて打ち上げるでしょう。
それから天に人の子の大いなるしるしが現れます。しかし世の人々はどうするでしょうか。彼らはそれが惑星だ、いや彗星だなどと言うでしょう。しかし人の子は,その来臨のしるしのように来られます。あたかも朝の光が東から射すように。(1843年4月6日)」(Teachings of the Prophet Joseph Smith p.294〜295)
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2010年11月10日

命の木の石

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紀元前600年、エルサレムの滅亡から家族を連れて逃れた預言者リーハイは、アラビア半島を旅する途中、一つの夢を見ました。
その夢の中で、リーハイは命の木に関する示現を受けます。

「一本の木が見えたが、その実は人を幸せにする好ましい物であった。そこで行ってその木の実を食べると、それは、今までに味わったどんな実よりもずっと甘い事が分かった。またその木の実は白く、今までに見たどんな白い物にも勝って白かった。」(1ニーファイ7:10〜11)

命の木は、神の愛、すなわちイエス・キリストの象徴であり、実はキリストに従う者に授けられる永遠の命を表しています。

他にもリーハイは夢の中で、命の木に至る細くて狭い道(キリストに従う生活)、道に沿って伸びる鉄の棒(神の言葉)、命の木と世俗とを隔てる川(地獄の深み)などを見ました。
そして、夢で見た出来事を家族に話し、神の教えに従って生活するように説くのです。

1941年、メキシコのチャパス州イサパで、高さ3メートル、幅1.5メートルの石碑が発掘されました。
その石碑は「ステラ5号」と名付けられ、リーハイの夢と同じ場面が描かれており、「命の木の石」とも呼ばれています。

まず、祭壇の前で礼拝と指示をしている姿の老人は預言者リーハイです。
その背後に座っている女性は、リーハイの頭上にワニを表す物をかざしています。
古代マヤ文明では、ワニの彫刻は伝説的な大洪水の後に、大陸に移民する為に家族を引き連れて来た偉大な父の名前の絵文字として使われました。
更に、この絵文字には大きな顎が彫られていますが、ヘブライ語の地名のリーハイは、「顎骨」という意味です。(士師15:15〜19)
リーハイの後にいる女性は妻サライアです。
頭上に彫られた冠は王族の権威を表しており、ヘブライ語のサライアは「エホバの王女」という意味です。

右から二番目の人物は四男のニーファイで、手に書物を持っています。
ニーファイはモルモン書の原文である金版を記録した最初の預言者です。
ニーファイの後にいるは三男のサムで、彼を助ける姿勢で描かれています。
また、リーハイから指示を受けている人物は、リーハイに最も近い事から長男のレーマンを表し、その右側にいるのが次男レムエルです。
この二人は命の木に背を向けて座っていますが、これは神に対する拒否を象徴しています。

最後に、石碑の中央に彫られた天と地を結ぶ世界樹=命の木は、イエス・キリストが天地の創造主であり、神と人間との仲立ちをする仲保者である事を象徴しています。
命の木の下に生えている十二本の根は、キリストの弟子である十二使徒、あるいは主の聖約の民であるイスラエル十二部族を表します。
また命の木の八本の枝は、キリストが定めた八つの時代、すなわち地球が存続する八千年間を暗示しています。
キリストが生まれた時から遡ってアダムの時代までは四千年間。
そして、キリストが昇天してから再降臨するまでの二千年間と福千年統治、そして最後の裁きの年数を加えると四千年間となります。
よって、救い主は「時の中間」に生まれると預言されていたのです。(モーセ6:57)
posted by コテツ at 17:26| 古代アメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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